ひそひそボッチ 「五分三十秒」

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2007 / 10 / 22  Mon
官能小説   
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 この応接室は、あるいは懺悔室に似ているかもしれない。
 客は他人には絶対いえない秘密をこの部屋でオレに打ち明け、口ごもりながら愚かで恥辱に満ちた夢を語り、オレの赦しを乞う。
 つまり、むちゃくちゃ罪つくりなバイブレーターを発注してくる。
 よりグロテスクで凶悪なものを望む客もいれば、大きさに、あるいは振動に、シリコンの質感に執着する客もいる。中には、バイブの中に極小のピンホールカメラや小型マイクを仕込んでくれというマニアックな客もいるが、オレはそれも赦す。対応できる注文ならどんなバイブだってつくる。
 しかしそんなオレでも、
「結論から申し上げて無理です。そういう製品はつくれません」
 注文を断ることだってある。
 オレの名は鳴海次郎。羽田裏で性玩具の製造工場を営んでいる。屋号は「夜泣き屋」という。本来は既製品のバイブレーターを作っているのだが、納品先の親会社に「特注」の依頼が入るとこうして事務所に呼び出され、客から注文を聞くことになっている。
 税理士だと名乗るその男の注文はじつに他愛のないものだった。自分のちんぽと寸分たがわぬバイブレーター、つまりは自分の分身、ちんぽのレプリカをつくってくれという注文であった。
 つくれない? 税理士は意外そうに目をしばたいてオレをみつめた。
 歳は四十半ばだろうか。ワイシャツの首回りがスカスカして、ジャケットも不自然なくらい大きく、髪はあきらかなかつらである。税理士というより間に合わせの衣装で舞台に上がったお笑い芸人のような男だった。
 税理士は納得いかない様子で、薄ら笑いを浮かべていった。
「しかし、あの、どういうんでしょう。わたしには簡単にできそうな気がするんですが」
 そう。理屈では簡単にできる。まず映画の特殊メイクなどに使うコピックという凝固剤をつかって勃起したちんぽの型をとる。そのコピックの凹型にシリコンを流し込みさえすればちんぽの血管まで再現したスーパーリアリズムのバイブの一丁上がりだ。
「そんなに簡単なことがなぜできないんです?」
「凝固剤の凹型がとれないんです」
「わからないな。だって特殊メイクはできるんでしょ」
「顔の型はとれてもペニスの型はとれないんです」
 わかるようにいってください、と税理士はイライラしたようにいい、オレは一語一語区切るようにしてこう答えた。
「凝固剤が固まるまで最低でも五分三十秒の時間が必要なんです」
 五分三十秒? きょとんとした顔で税理士はいった。
「人間の顔は何時間経とうが変わりません。でもペニスは刻々と形状を変えるでしょう。勃起したペニスは」
 ちょっと待ってください、税理士は失笑した。
「自慢じゃないが、わたし、最低でも十五分はもちます」
「それは女性としてるときじゃないんですか」
「自分でするときはもっともちます」
 もちませんよ、オレはついつい声を荒げた。というのもこれまで同じ注文に何度もトライしたことがあったからだ。だが、一度としてそのバイブが完成したことはなかった。クライアントがみな二分ともたずに挫折してしまうからである。ちんぽの根元をしばろうが、何錠バイアグラを飲もうが結果は同じ。実際一度でもためせば、凝固剤の冷たいジェルの中が勃起にとっていかに過酷な環境であるかがよくわかる。
「わるいことはいいません。あきらめた方がいい」
「しかし、わたしにはもう時間がないんです」
 税理士はそういうとうつむいて黙りこんだ。
 応接室の時計の音がやけに耳についた。なんとなく嫌な予感がした。やがて税理士は追い詰められたように顔を上げ、まっすぐにオレをみていった。
「わたし、癌なんです」
 応接室に差し込んだ微光が税理士の顔を照らしている。
 落ちくぼんだ眼窩や浮き出た頬骨に刻まれた陰影がやけにくっきりとオレの目に飛び込んでくる。
 するとついさっきまでお笑い芸人だったはずの税理士が一転してヒューマンドラマにでてくるような悲劇の人に変わっていた。
 でもヒューマンドラマにバイブレーターは似合わない。
 オレは混乱した。
 すると税理士はオレの動揺を見透かしたように追い討ちをかけてきた。
 自分は余命三ヶ月の告知をうけた肺癌患者で愛する妻のためにどうしても自分と生き写しのちんぽを遺したいのだ、と。
 安請け合いはしたくはなかった。
 かといってオレはこういう依頼を言下に断れるほどクールでも合理的な男でもなかった。
「形見をつくりたいのです。お願いします!」
 税理士はそういってオレにとどめを刺した。

「デスマスクっていうのは聞いたことあるこど、デスちんぽってありっすか」
 作業の準備をしながらアルバイトの南雲クンが愚痴ると、元ソープ嬢のミルクさんが笑って答えた。
「仏壇に供えてさ、おりん叩くのよ。チーンなんて」 
 熟練のネジ切り職人だった滝さんは仕事中滅多に口を利かないのだが、
「いや叩くなら二回だ。チンチンだからな」
 珍しく冗談をいったりして工場の雰囲気は、まあ、なげやりに明るかった。
 工場に看板は出していない。表向きは自動車の機械部品を扱っていることになっている。  
 税理士は道に迷ったらしく、約束の時間より少し遅れてやってきた。濃厚な死の匂いをただよわせた当人を目の前にすると従業員たちはさすがに神妙になった。
 そのうえ税理士は背後に女をしたがえていた。
「妻の葉子です」
 そう紹介されてもオレたちはうまく反応できなかった。
 女があまりに若く美しかったからだ。
 歳は二十五、六才。背はあまり高くはなく、黒いニットが豊かな胸を締めつけ、ウエストにくびれたカーブを描いている。ぽってりした唇が愛らしく、しかし切れ長の目は冷淡で、なつかしいものと残酷なものが混ざり合ったような不思議な魅力をただよわせている。
 早く済ませましょうよ、若い妻はそういって税理士を急かした。
 
「まず作業の手順を簡単にご説明します」
 工場の中二階は従業員控室になっていて、部屋の奥に小座敷のような三畳間がある。小座敷の下のリノニウムの床には、すでに粉末の凝固剤コピックと水とバケツ、そのバケツを股間に固定するためのベルトなどが用意されている。
「税理士さんには、我々が凝固剤と水とを混ぜ合わせてる間に、勃起させてもらうわけなんですが、このタイミングが重要なんです。早く勃ちすぎてもだめ。もちろん遅すぎてもだめ」 
 勃起は凝固剤がジェル状に変化したジャストモーメンツになされねばならない。なにしろその直後にちんぽは冷たいジェルの中で五分三十秒の間、硬さを保たなくてはならないのだ。勃起時間は数秒だって無駄にはできない。
「人が居て気になりませんか?」
「いや、居てくださった方が助かります。わたし、むしろ見られていたほうが燃えるたちなんです」
 税理士はそういってチラッと若い妻をうかがい、なあ、と媚びのある笑みを浮かべた。若い妻も笑ってうなずいてみせたが、すぐに真顔にもどって税理士から顔をそむけた。
「それじゃあ一度、段取りだけおさらいしておきましょうか」
 もう覚悟は決まっていたのだろう。税理士はオレの指示にしたがい、するするとスラックスを落としトランクスを脱いだ。
 見慣れた控室の風景に、奇妙な違和感が走ったのはそのときだった。
 税理士の腰や脚は痛々しいほどやせ細っていた。最初は痩せた下肢との対比でそう見えるのかと思った。だが、やはり違う。でかい。税理士のちんぽが理屈に合わずでかすぎるのだった。
「上着も脱いだほうがいいでしょうか?」
 オレは返事も忘れてこの男のちんぽに見入っていた。こんなもんみたことない。ゆうに赤ん坊の腕か小振りの大根くらいはある。圧倒されていたのはもちろんオレだけではなかった。南雲クンもミルクさんもあの滝さんまでもが作業の手を止め、ぶら下げていることすらしんどそうなそこを凝視していた。
 
 ペニスのレプリカなどできるはずがない。
 いってみればそれを税理士に納得させるためだけに引き受けた仕事だった。
 だが、みればみるほど税理士のちんぽは異様な存在感を訴えていた。なにしろそこだけが痩せていない。亀頭は血色のよい淡い桜色をしており、幹の部分は不気味なくらいドス黒く、野太い血管が幾筋も這い回っていて、健康というより獰猛な生命力にあふれていた。きっとこのときオレも従業員たちも知らず知らずこう感じ始めていたのだと思う。雨にも風にも末期癌にも負けないこのデカちんぽなら前人未到の五分三十秒を乗り切れるのではないか、と。いつの間にか全員の作業にも活気がでていた。
「ご主人を刺激するもの、持ってきてくださいましたか?」
 準備が整うとオレは小座敷にぼんやりと坐っている若い妻に声をかけた。
 すると若い妻は持参した紙袋から、こんなものですけど、と数冊の写真集をだしてみせた。ほとんどがありきたりのヘアヌード写真集だった。
「それじゃいってみよう」
 オレの号令とともに従業員達がサッとおのおののポジションに動いた。
 滝さんがバケツに水を注ぎ、すごい早さで凝固剤をかきまぜてゆく。
「税理士さん、凝固剤の粘り具合に合わせて勃たせてください」
 税理士は小さく頷き、筋張った細い指を陰茎にからめた。その指を凝固剤の変化に合わせて慎重に動かし始める。
 やがて陰茎にジワジワと芯が生まれ、ちんぽ全体がゆっくりと角度を上げ始める。
 すると南雲クンの口から、おお、とうめくような声が洩れた。確かにそれは荘厳とも思える光景だった。硬度を増すにしたがいちんぽの奥からミシミシと肉がきしむ音が聞こえる気がした。グングンみなぎってゆく陰茎はやがて税理士の指の輪をぶっちぎり、ついに鋭い角度でそそりたった。
 圧巻だった。亀頭の薄い皮膚はピンと張り詰めて光沢を放ち、幹はドクンドクンと脈打つ血管とともにボディビルダーの筋肉のように緊張していた。
 同時に、よし、できた! と滝さんが叫んだ。
 凝固剤がジェルへと変わったのだ。ジェルで満たされたそのバケツをミルクさんが取ると、素早い動きで税理士のそそり立ったちんぽにかぶせた。同時に南雲クンがストップウォッチを押す。
 いよいよ五分三十秒の始まりだ。
「これでイメージを高めてください。妄想して!」
 ミルクさんが税理士の股間にベルトでバケツを固定する間に、オレは写真集の一冊を税理士に渡した。
 税理士はひったくるようにそれを取ると次々とページをめくった。税理士が選んだのは乳房を両手で持ち上げながら微笑している女の子の写真だった。税理士はまるで透視でもこころみるように女の子に集中した。
「一分経過!」
 一分三十秒、二分、と南雲クンが刻々と経過時間を告げる。
 税理士の様子に変化があらわれたのは二分三十秒を経過した直後だった。ついに写真の効力が切れたのだろうか。税理士は写真集を叩き捨て、薄い胸をポンプのように息ませながら下半身に血液を送り始めた。みるみる目が血走り、こめかみに蛇のような血管が浮んだ。夜叉のような形相であった。
 滝さんがグッと拳を握りしめ、ミルクさんは祈るように両手を合わせた。
 そして三分まであと数秒というときであった。
 税理士の口からブハっと奇妙な息が洩れると、そうでなくても痩せた税理士の身体がみるみる小さくなり、穴の空いたダッチワイフみたいにカサっと床にへたり込んだ。その拍子にかつらがずれひな鳥に似た頭皮がむきだしになった。
 オレたちはその場に立ち尽くし税理士を見下ろしていた。
 動かなくなった税理士の姿は、終末をテーマとした奇怪なオブジェのようだった。
 すると若い妻がスッと歩み出て税理士の背後に回りこみ、ベルトをゆるめてバケツを剥がし、凝固したジェルを確認した。ジェルの中央にはポツンと萎えたままよじれてしまったちんぽの名残があった。もちろん失敗だった。
 若い妻が、これで気が済んだでしょ、とささやきながら下着を差し出すと、税理士は妻でなくオレに向かっていった。いや、いきなり叫んだ。
「明日、もう一度やらせてください!」
 面食らったオレが絶句していると、税理士は立ち上がりオレの腕をつかんで懇願した。
「実際にやってみてわかったんです。まだ方法がある。できる。わたしは絶対にできる。お願いします。もう一度だけトライさせてください!」
 オレは弱りきって若い妻を見たが、若い妻も途方に暮れたようにオレをみつめ返すだけだ。
 明日の同じ時間また来ます、準備をしておいてください、税理士はそういいながら慌しく着替えを済ませて控室を出てった。若い妻はオレたちに向かい、よく言い聞かせますから、とだけ言い残し税理士を追って出てった。
 オレたちは無言でバケツに歩み寄り、もう一度凝固したジェルをみつめた。そこにはちんぽの名残を取り囲むようにむしりとられた陰毛が突き出ていた。
 抗がん剤って下の毛も抜けるのかしら、ミルクさんがポツリといった。

 いったい税理士にはどんな勝算があるというのだろう。
「まいりましたよ、夜泣き屋さん。徹夜ですよ、徹夜!」
 翌日も妻をしたがえやってきた税理士は異様にハイテンションだった。
 寝ないで妻を説得したんです、どうせ死ぬんだから、そう後生だからってね。税理士はそういいながら控室に入ると振り向き、オレにいった。
「今日はね、あなたにも参加していただきますよ、夜泣き屋さん」
 そりゃあ、もちろん協力はいたしますが、とオレがしどろもどろに答えると、税理士は小さく首を振りながら、いや協力ではない、参加です、と若い妻の両肩を摑んでオレの目の前に突き出すようにしていった。
「妻を抱いてください」
 わずかなリアクションもとれずにオレは黙った。
「あなたをプロとしてお願いしているのです。わたしの目の前で妻を歓ばせてやってください」
 それでも黙ったままのオレに税理士は奇妙な笑みを浮かべて迫ってきた。
「わたしはじつに嫉妬深い男なんです」
 顔は笑っているのに目だけがほの暗く、不気味だった。
 嫉妬というやつはね、これはもうモンスターです。女を愛すれば愛するほど育ってしまう化け物なんだな。わたしは今までこの化け物を必死になって飼いならしてきた。しかし、もういい。死ぬ前にこいつを解き放ってあげたい。なぜならこのモンスターはわたしを苦しめると同時にものすごいエネルギーを与えてくれるからです。この気持ち、夜泣き屋さんならわかりますよね。
 そういいながら税理士はヌっと顔を近づけオレの肩をつかんだ。
「大暴れさせてくださいな、わたしのモンスターを」
 ちょっと待ってください、オレが税理士の手を振り切って叫ぶと、
「待たない! わたしに待ってる時間はない!」
 税理士は若い妻をチラッとみてから、
「これはすでに妻も納得していることなんです」
 といって下半身をまる裸にし、茫然とたたずんでいる従業員たちにいった。
「申しわけない。マットか布団のようなものはありますか」
 するとミルクさんがハッと我に返って、ありますあります、と大慌てで小座敷の押入れから布団を引っ張り出し、南雲クンはシーツ代わりのタオルをロッカーから取り出し、滝さんまでティッシュを用意し始め、全員があわただしく準備に動き始めた。
「ちょっと聞いてください」
 税理士の一言で従業員達はピタッと動きを止めて耳をすませた。
「いいですか? 今日はみなさんの作業より先行して夜泣き屋さんに妻とからんでいただきます。その間に凝固剤はいつでも混ぜることができるように準備しておくこと。そして夜泣き屋さんと妻の行為が充分に盛り上がったとき、わたしからみなさんに指示を出します。それからは昨日と同じ段取りで」
 オレ以外の全員が声をそろえて「はい!」と税理士に答えた。
 いつの間にかオレと税理士の立場は完全に逆転していた。
 オレはすっかり動転して、腕組みをして小座敷をみつめている若い妻に向かい、本当にいいんですか、と尋ねると、若い妻はなげやりな笑みを浮かべ、しょうがないでしょ、と呟き羽織っていた薄手のカーディガンを脱いだ。どうやら動転しているのはオレ一人らしい。それがわかるとオレはさらに動転した。
 どうしよう。
 確かにオレはセックスのプロではあるけれど、それはあくまで道具にかんするプロであって実技のプロではないのだ。いや、そもそも道具に執着するのは実技にさほど自信がないからであって、しかもそれはオレの心の奥にずっとしまってある秘密で、そんなオレが人前で女なんか抱けるわけないじゃないか、と激しいパニックに見舞われているうち、
「布団の位置はこれでいいですか」
 小座敷の準備はすっかり整っていた。
 すると若い妻がスッと小座敷に上がって税理士にいった。
「服はどうします? 着たままで始める?」
「いや脱いでからやってくれ」
 若い妻が淡々とブラウスのボタンを外し始めると、税理士と従業員たちの視線が壁際で怖気づいているオレへと移った。ふざけんな、と思ったが、実際のオレはヘラヘラ笑いながら、
「わかったって。やるよ、やるって、もう」
 と作業着を脱ぎ始めていた。
 だが税理士の巨根のまえで自分のちんぽを開陳する勇気はなく、オレは思春期の中学生のようにこそこそ股間を隠しながらトランクスを脱いだ。そのせいで下半身をむき出しにしたまま仁王立ちした税理士の態度がますます立派にみえた。
「ねえ、社長。どうせなら靴下も脱いでくれない。履いたまんまだとみてる方だってシラけるから」
 ミルクさんがいうと、南雲クンまでが、しかも五本指靴下じゃね、と鼻で笑った。
 オレはのたうつような奇妙な動作で五本指靴下を脱いで小座敷に上がり、そして息を呑んだ。
 真向かいにオレとは別の生物が正座していた。
 すでに素っ裸になっていた若い妻の肌は、くすんだ控室の風景をそこだけ切り抜いたように白く、差し込んだ西日が乳房に金色の曲線を描いていた。女は腰も脚も細めで顔も小さいのに乳房だけが異様に大きい。その重量にたえかねて華奢な鎖骨がしなっているようにみえる。男を倒錯させ、煽情するために組み合わされたようなめちゃくちゃに猥褻な裸体だった。
「始めなさい」
 税理士の低い声が響いた。
 オレは恐る恐る顔をあげて若い妻をみた。
 無表情な若い妻がなにを考えているのかはわからなかった。若い妻はただ小さく頷いて、オレに身体をずらした。オレの首に両手を回すと顔を寄せゆっくり舌を差し込んでくる。女の口の中は今まで氷でも含んでいたようにひんやりしていた。しかし押し付けられた乳房は柔らかくあたたかった。舌はねっとりとオレの口腔をくまなく動いた。オレがその動きを追い、追うと逃げた。オレは次第に焦れていつの間にか夢中になっていた。
 若い妻の首筋に舌を這わせ乳首をつまんだ。薄桃色の大きな乳輪からわずかに盛り上がった曖昧な乳首がきゅうっと固くなった。縮んだ乳首を口に含み、軽く吸うと、あ、若い妻の乳房がプルルと震えた。演技じゃない、感じてるんだ、とわかるとオレはすっかり嬉しくなってじれったいほど甘く舐めた。若い妻は身体から疼きを追い出すように上体をくねらせ始め、やがてその切なさに耐えかねたようにかすかに喘ぎながら、噛んで、犬歯で、とオレの耳元でささやく。オレは硬い乳首に犬歯で鋭利な痛みを与えながら、吸って、捏ねた。あ、あ、短い息づかいとともにオレの肩を摑んだ若い妻の手に力がこもった。若い妻の手がどんどん熱くなってゆくのがわかる。
「その体勢じゃわからないな」
 税理士の声がし、オレは横目で税理士の状態を確認した。税理士のちんぽはすでに怒り狂っていた。
「わからない。その位置ではおまえがどんなにスケベな女かわからない。こっちに尻を向けろ」
 妻は一瞬オレをみて躊躇したが、観念したように尻をずらした。
「突き出せ」
 オレの目の前で妻の尻がゆっくりと上昇してゆく。若い妻は両肩を畳みにこすりつけるようにして、尻だけをグッと突き出してみせた。その尻は名工がつくった白磁のような絶妙なまるみがあり、西日をなだらかに映している。
「夜泣き屋さん、のぞいてやってください」
 内側をひっくり返すように突き出した尻の中心で、アヌスが放射状の細かい影を刻んでいる。
「濡れていますか?」
 折り重なったひだには、アヌスよりくっきりした残酷な影が差していた。その中心のより深い切れ込みにはすでにたっぷりと透明な愛液が湧いている。愛液は表面張力によってかろうじてそこに留まり、西日を透過してキラキラ光っていた。すごいです、あふれてます、もうこぼれ落ちそうです、とオレはいった。
「この女はね。みられると興奮するたちなのです。ヒタヒタに濡らしてしまうのです。どうしようもなくスケベな女なのです。なあ、そうだよな、葉子?」
 確かに若い妻はそういう女なのかもしれない。はい、とくぐもった声で答えた瞬間、折り重なったひだがたわんで表面張力の均衡が崩れた。トロンと流れ落ちた愛液は陰毛を伝ってちぢれた毛の先にしずくを作った。
「どうして欲しいんだ、葉子? みなさんの前でしてもらいたいことをお願いしてみろ」
 固く目をつむった若い妻の顔がみるみる赤くなった。眉間で揉み合っているしわが、それを口にするべきかどうか逡巡している。
「さあ、どうして欲しい? いえ」
 若い妻がようやく蚊の泣くような声で、舐めて、と呟く。
「どこを舐めて欲しい?」
 容赦なく税理士はいった。
 若い妻は、いやいやと何度か首を振ったが、そうして拒むことで自分の快感を高めているようにもみえた。若い妻はやがて大きなかたまりを吐き出すように、
 クリトリスを、舐めてください、
 といい、背中を大きく波打たせた。その拍子にトクンっとまた愛液が流れた。
「だったらまず舐めやすいように皮をむけ。むきだしにしろ。いつもそうしてるだろう」
 言葉にあやつられたように下腹から右手が回されてくる。白く長い指が切れ込みの頂点を押さえた。人差し指と中指でできたVの字が、ぴっとかすかな音をたてて切れ込みを開く。めくり返されたひだの色は健康そうな爪の色よりいくぶん濃かった。その色の対比があざやかで猥褻だった。指が開いたひだを下にずらす。オレの間近で薄い包皮がにゅうっとひっくり返ってゆく。
 どうですか、夜泣き屋さん、と押し殺した声で税理士はいった。
「妻の状態を教えてください」
 包皮の間から生まれたクリトリスは、やけにはっきりとした形をしていた。オウムの舌に似ている。よくみるとその舌はいいたいことをいえなくていらだったように先端をこね合わせている。
「夜泣き屋さん、この女はどうなっていますか?」
 それにしてもこんな報告をするオレの役回りは間抜けだった。オレはいった。
「かなり大きくなって、そいでもって動いています」
 税理士は素っ頓狂な声で、もう大きくしてますか、とことさらに驚いてみせ、
「まだ触ってもいないのに、みっともない!」
 吐き捨てるようにいうと、その言葉に反応したかのように若い妻のアヌスがキュッと収縮し、切れ込みの間から愛液が絞りだされトロトロと垂れ落ちてゆく。愛液に浸ったクリトリスはガムシロップをかけたタルトみたいにテラテラ光っている。南雲クンの唾液を飲み込む音が聞こえた。
「舐めてやってください」
 税理士の許しが出ると同時に、オレはもう妻の尻の間に顔を押しつけ、夢中でクリトリスを舐め上げていた。あ、ああ。若い妻の声が薄い皮膜をやぶったように鮮明になった。クリトリスはむき出しにされているせいで口の中でもはっきりと形がわかった。先端は尖り、根元はペニスの勃起に似た重いしこりが生まれていた。オレはそのしこりを先端に運ぶようにして舌を滑らせ、軽く吸った。
 ああ、いい、いいっ。
 若い妻はオレの鼻先できゅうきゅうアヌスのしわを揉み合い、なだらかな尻にザっと鳥肌が立った。吸引したクリトリスを前後左右に舌で掃くと、あ、ああっ、それ、たまらないっ、と突き出した尻を揺すってオレをせがんだ。
 税理士はとり乱す妻をみて手応えを感じたのだろう。始めてください、と滝さんに指示した。滝さんが凝固剤を混ぜ始めるのが気配でわかった。気がつくとオレの舌も滝さんのリズムに同調して動きを早めた。あ、ああ、ああ。若い妻の背中が蛇のようにくねくねうねった。そのとき凝固剤がジェルへと変わったのか、装着します、というミルクさんの声がして、ストップウォッチを押す金属音が響いた。
 いよいよ五分三十秒が始まったのだ。
 が、すでに若い妻の悶え方はあられもなかった。
 ああ、ああ、いかせていかせてっ。
 まるで尻の痒みに耐えかねたように激しく尻を上下させ自分で刺激を高めていた。たよりないひだの感触と硬いしこりがオレの舌と唇をヌルヌルとすべった。
 まるで犬だな、税理士は舌打ちして若い妻に言葉をぶつけた。
「皮膚病の牝犬だよ。そこまではしたない女だとは思わなかった。おまえには恥というものがないのか?」
「だめよ。もう我慢できないの。あ、ああっ」
「尻を振るな、犬!」
「だったらどうしたらいいの。わたし、どうしたらいいですか!」
 若い妻が切羽詰った声で叫ぶと、背中に浮かんだ汗が弾けたようにわき腹に散った。
「まずおまえが舐めろ。夜泣き屋さんにおまえが口でして差し上げるんだ」
 オレと若い妻はすでに完全に税理士の言葉に支配されていた。オレはすぐさま身体を反転させて妻に股間を向け、妻も飢えた子供のようにオレのちんぽを握った。握られると税理士と比べオレのちんぽがいかに粗末かよくわかったが、次の瞬間には妻がそれを一気に根元まで吸い込んでいた。ヌラリと動いた舌が何重にも陰茎に巻きついた気がした。細いから舌が余ってしまうのかと思うと哀しかったが、どうしようもなく気持ちよかった。若い妻の口が重い圧力を加えながら上下にすべり始める。顔を振るたび大きな乳房が揺れて、乳首がふとももをかすった。じっと目をつむった若い妻はフェラチオしているというより、無心でオレの尿道から体液を吸いあげているようにみえる。
 いや、実際オレの体液はみるみる妻に吸い寄せられていた。
「一分経過!」
 うそ。もう三分以上は経ってる気がしたのに。まだ一分だって。冗談じゃねえぞ。まだ四分半もあるのか。いうまでもないことだが、このときオレの体内時計はちんぽを中心にまわっていた。その体内時計を妻の舌が早まわししているのだ。
 オレは混乱して税理士をみた。すると税理士は税理士で必死だった。サラダオイルのような汗でぬらぬらになった顔をゆがめ、若い妻の舌技を凝視していた。
 いまや税理士とオレは一人の女を挟んだネガとポジ。あるいは勃起における光と影の関係であった。税理士は冷たいジェルに浸り、オレは若い妻のやわらかい舌に包まれ、ともに五分三十秒という途方もない時間を乗り切らねばならないのだ。どっちが先に萎えてもそれで終わる。しかも皮肉なことに妻の行為が乱れるほど税理士は硬くなり、一方オレは射程距離が縮まってゆく。
 いや、待ってくれ。もう距離なんてないに等しい。ねるぬるした舌は、亀頭を絞るように這い回っている。あ、ああ。もうだめだ。いく。いってしまう。
 そのときだった。若い妻はオレが引き金を引くギリギリ手前で舌の拘束をフッと解き、肛門に集中しかけた緊張がゆるんだ。すると決壊寸前だった射精の波がスーッと遠ざかった。
「二分経過!」
 どうやら若い妻はちんぽの根元を握り、微妙な収縮をとらえて射精の前兆を計っているようだ。波が引くと妻はふたたびせっせと顔を上下させた。吸引されるたびに亀頭がぐっとふくらむのがわかった。もう亀頭は敏感になりすぎていて、射精をこらえる留め金がなくなっている。だが若い妻は寸前で射精を止め、また吸引をくりかえした。
「あ、ああ」
 声を出したのはオレの方だった。それにしてもすごい舌技だった。もういつ出てもおかしくなかった。だがいくようでいかなかった。翔ぶ夢のように心地よく、落下する悪夢のように絶望的な快感だった。
 夜泣き屋さん。
 ふいに押し殺した税理士の声が響き、オレはギクンと顔を上げた。一瞬だがオレは完全に税理士の存在を忘れていたのだ。
 妻の口はすばらしいでしょう、税理士はそういって目を細めた。
 舌技も抜群にうまい。そのうえ惚れ惚れするほど美しい口腔をしているのです。
 いったい税理士はなにをいいたいのだろう。身悶えるオレに向かって抑揚のない声で続けた。
 なにしろ一本の虫歯もない。おまけに歯並びもいい。歯石もなく舌苔もない。わたしはその清潔で美しい口の中を磨いてやるのが好きでした。エナメル質に一点の汚れもつかないように。朝と晩に妻の歯を磨くのがわたしの日課であり歓びだったのです。
 税理士は薄い胸をふいごのように波打たせ笑っていた。異様だった。
「わたしが磨き続けたその口に、いま、あなたのペニスが入っている。妻の口がよだれを流して他人のペニスを舐めている」
 南雲クンが合いの手でも入れるように三分経過を告げた。
 オレを吸引する若い妻の口から空気が洩れ、ブブっと下品な音がたった。
「これはたまらない光景だな」
 税理士の荒い息と、若い妻の唇が放つ粘り気のある擦過音で、部屋の空気が息苦しいほど濃密になった。
 たまらないよ、まったく、税理士はそう叫ぶと絶句し、全身をわなわなと震わせて硬直した。細い首に幾筋もの血管を浮かべて踏ん張るその姿は、被弾しながら立ち上がろうとしている兵士のようだった。あるいは勃起したペニスそのものにもみえた。
 するとミルクさんが思わず身を乗り出し、がんばれ、と叫んだ。
 南雲クンが声を張り上げ、滝さんも怒鳴った。
「あと一分半! たったの一分半です!」
「息を止めろ! ここが山だ! 今が勝負だ!」
 従業員たちは一斉に税理士を励まし始めたが、オレを応援してくれる奴は誰もいなかった。そのときオレに注目していたのは税理士一人だった。税理士は血走った目をギラギラさせながらかすれ声でいった。
「入れてやってください、夜泣き屋さん」
 従業員が一斉にオレに視線を向け、若い妻も口からちんぽを抜いて顔を上げた。
「入れるんだ。突っ込むんだよ、妻に」
 もしかしたら税理士はその一線だけは越えて欲しくなかったのかもしれない。だが、たったいまジェルの中でギリギリの攻防を続けているちんぽが緊急命令を発しているのだ。税理士は泣いていた。
「早く、早くしてくれ。頼む!」
 若い妻がオレに向かって立てた膝をM字型に開いてゆく。淡い陰毛に囲まれたピンク色の性器がむき出しになった。
「早く、社長!」
「みてたってしょうがないでしょ。状況わかってるの!」
「入れろ。覆いかぶされ!」
 誰もが若い妻とオレとの結合を望んでいた。きっとこのとき初めてこの部屋にいる全員の気持ちがひとつになったのかもしれない。オレはようやくちんぽの先っぽにまで勇気が満ちあふれるのを感じ、妻のよく濡れた性器にカチカチなった先を当てた。
「四分三十秒! 残り一分!」
 そして息を詰め、女に沈めようとしたときだった。
 あら。下半身にある硬さの起点のようなものがフッと消えた。
 うそ。うそだよな。オレは起点を探して力んでみたがみつからない。身体の疼きからあっけらかんと裏切られたようなこの感じ。今までにも何度か経験がある。でも、まさかこんなときに。オレは何度も肛門をしぼってちんぽに血液を送りこんだ。が、手ごたえはさらに遠のいてゆく。従業員たちは焦れて怒鳴った。
「五分経過! ちょっとどうしたんすか、社長!」
「さっさと決めろや、グズ!」
 オレはもうパニックだった。
 しかも悪い事に女は絞まりのいい名器だった。半端なちんぽは入口を突破できずにヌルっとすべった。もう結合に足る硬度がないのだ。なのにオレはあがいた。なんとか納めようと必死に手を添え腰を使った。ちんぽはひしゃげ、つぶれながらねかるんだ亀裂をすべりにすべった。オレはもう力の限り恥骨と恥骨をすり合わせているだけで、そこからピチピチと小魚が跳ねるような音がたった。その間の抜けた音とともに室内の高揚感も急速にしぼんでいった。
 五分十五秒。南雲クンがため息とともにいった。
 顔を上げると税理士の姿はもう数秒まえとは別人だった。枝から落ちる寸前の腐った果実のような土色の顔でうなだれてた。
 五分三十秒。
 ストップウォッチの金属音が響くと同時に、世界中の時間まで停止してしまったような気がした。実際、従業員たちは静止画のように動かなかった。
 すると滝さんがふいに顔を上げ、五分の段階まで成立していたならギリギリ形が残ってるかもしれない、といって税理士の股間に張り付いたバケツを剥がしにかかった。
 オレも祈るような気持ちで小座敷を飛び降り、従業員たちと一緒に凝固したジェルを確認した。
 だが、やはり形は残ってはいなかった。ジェルにはちんぽの最終形態、つまり五分三十秒直後のひしゃげた形状しか留めてはいなかった。
 すると従業員たちはやりきれない気持ちを口々にオレにぶつけた。
「癌の人があんなに頑張ったのに!」
「健康な野郎があのざまじゃな!」
「代わりにボクが絡めばよかった」
 だったらおまえがやってみろ、オレは思わず怒鳴りかけた。だが、きっと遺伝子かなにかに短小のフニャチンはこういうとき怒鳴りたくても怒鳴れない、という禁則システムが刻まれているのだと思う。オレは怒鳴る代わりに、
 すまん。
 とだけ呟き、そそくさ作業服と下着を取って逃げるように控室を出た。
 従業員たちによると、このあと税理士は従業員たちにチップまで手渡し、最後にこういい残して帰ったのだそうだ。
 夜泣き屋さんのせいではありません、責めないでやってください、と。
 以来、オレの口数は減った。

 それから二度と税理士に会うことはなかった。
 だが税理士はあきらめていたわけではなかった。なんとそれからひと月後、しっかりちんぽの凹型を残したジェルが工場に送られてきたのである。
 添えられた手紙によると、税理士はあのあと知人の医療関係者を通じて、直接ちんぽに薬剤を注射して勃起させる方法を試したらしい。それがどういう薬物なのかは書かれてなかったが効果は絶大だった。ジェルには税理士の偉大さが見事に写し取られていた。
 税理士に残された時間は少ない。オレたちは作業に没頭し、その日の夕刻には記念すべき夜泣き屋のレプリカ一号機を完成させ、それを税理士の自宅に送った。

 税理士の死を知ったのは、それからさらにふた月ほど経ったある日の午後のことだった。その日、新製品の打合せを終えたオレは、新宿駅であの若い妻とばったり再会したのである。
 税理士の直接の死因は急性肺炎だった。しかもそれは完成したレプリカを受け取って、わずか一週間後のことだったという。成り行きで入ってしまった喫茶店で若い妻は意外なくらいよくしゃべった。税理士との関係にについてあからさまに話せる相手など、オレ以外にいなかったからかもしれない。
「じつはわたし、夫以外にもお付き合いしていた男性がいたんです」
 若い妻の告白にもオレはさして驚かなかった。その不倫相手は妻が通っているゴルフ倶楽部のコーチで税理士も二人の関係を知っていたのだという。それは若い妻が税理士に不倫相手と一緒になりたいと切り出したからなのだが、そのときすでに癌告知を受けていた税理士は、どうせ永くはないのだから一緒にいてくれ、と泣きながら若い妻に頼んだらしい。
「それからなんです。夫があんなにレプリカにこだわり始めたのは」
 死を目前にした税理士が自分の唯一の自慢を遺したくなった気持ちはオレにもなんとなくわかった。だが、若い妻にしてみれば迷惑このうえない話だった。別れたいと思っている男のちんぽなど遺されても処分に困るだけだ。
「でもね。いまはちょっとあの人に感謝してるの」
 若い妻は吹きだしながら、酔った勢いでその彼氏と喧嘩をしたときなんだけど、と前置きしていった。
「そのとき、わたし、なんでだろう。彼氏にあのレプリカを突きつけてこういったの。これは死んだ主人の形見よって。実物とまったく同じレプリカなのよって」 
「それで、彼は?」
「男は大きさじゃないって」
「テクだと」
「そう! よくわかりますね。テクだといったの!」
 若い妻は嬉しそうにいったが、あの偉大な形見をまえにいえるセリフは限られている。オレは少しだけそのコーチに同情した。
「だからわたし、あのレプリカを枕元に置いて彼にこういってやったの。だったらテクだという証拠をみせてよ。この形見のまえで実証してよって」
「それで?」
 勢い込んでオレが聞くと、若い妻はそのコーチの愛撫を思い出したように急に照れた。つまり置物として役にたつことがあるんです、といって意味もなくアハハと笑い赤くなった顔を手であおいだ。そのとき若い妻の携帯が鳴った。
 メールを確認する若い妻を見ながら、メール相手はそのゴルフコーチで、コーチは早く若い妻とやりたがっていて、若い妻もメールを読みながらジワジワ濡れ始めているのだとオレは思った。予想通り、じゃあそろそろ、と若い妻はあっさり立ち上がった。
 ちょっと待って。
 思わずオレはいった。
 おそらくもうこの女と逢うこともないだろう。別れるまえにひとつだけ確認しておきたいことがあった。
「あの形見はやはり置物として使っているだけなんですか?」
 きょとんとした若い妻に向かってオレは別の言い方でこう尋ねた。
 一人のときは使わないのですか、と。
 やがてオレを見つめていた若い妻の顔に不思議な笑みが浮かんだ。
「ときどき使っています」
 若い妻はこういい残して喫茶店を出た。
 彼女の後姿が雑踏に消えたあともしばらく席を立てなかった。オレは不倫相手のコーチではなくボロボロになって死んだあの税理士に嫉妬し、痛いくらいに勃起していた。そして喫茶店の壁にかかった時計をみていた。
 なぜだろう。そのときオレは息を殺し五分三十秒を計っていた。
                                       


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